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トップページ > 活動史(21世紀) > 喜劇映画研究会 2001年 ロスコー・アーバックル特別講演3
喜劇映画研究会 2001年

特別講演「アーバックルのサイレント・コメディ」3

 この事から、アメリカ映画界を代表する国民的大スターは、ある日を境に民衆の敵となりました。この為、昨日までアイドルだったデブ君作品は全米で上映禁止運動が沸き起こり、女性を陵辱したと言う理由から婦人運動家、教育関係者、宗教関係者が中心となってデブ君の映画を全て回収、焼き討ちしました。

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写真18 映画界初のコメディエンヌ
メーベル・ノーマンド

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写真19 アテネ・フランセにて
配布されたパンフレット

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写真20 映画界初の検閲制度にて最高責任者と
なったウィル・H・ヘイズ(左)
右はパラマウント社の総帥アドルフ・ズーカー

 これが今日、アーバックル作品のほとんどが現存しない事、作家としての評価が今日までに残らず抹殺された理由となります。
事件の真相、真犯人がアーバックルかどうかはわかりませんが、今もアメリカではあまり良く思われていない様です。

 えー、それで人気も名声も完全に失墜したデブ君ですが、世間では捕えてリンチしようとする人までいたらしいのですが、デブ君を先生として尊敬するキートンや、パラマウント、ユナイト、ユニバーサル、ワーナー・ブラザース、メトロの社長なんかはデブ君を絶対に信じていた訳で、合同で無実を証明してあげようと独自に調査を始めます。私立探偵を雇うのですが、これがダシール・ハメット、そう「マルタの鷹」の原作者となるその人です。

 で、ちょっと話は変わりますが、今回の上映作品でもデブ君といくつか共演している女優メーベル・ノーマンド(写真18)。この人も1910年代を代表する世界的なコメディエンヌなんですが、ほぼ同じ頃にこの女性も別の殺人事件の容疑者とされてしまいます。あ、お配りしているパンフレット(写真19)の女性ですね。はい。

 この二人ともハリウッドの大スターだったから、世間は「有頂天になってモラルを欠いた成り上がりの許されざる犯罪」と見た訳です。そうなりますと、この二人が犯人でなかろうと、スターと言う者は全てそんな人種じゃないかと大衆は思ってきました。そこで、今で言う映倫とかR指定、検閲みたいなものを映画界が自主的に起こそう、スターの私生活が健全であるべき事を示そうと、まぁアーバックルとメーベル・ノーマンドがメディアの犠牲となる様なカタチで法律が制定されます。この事件が起きるまで、そう言う考えがなかったのですが、まぁヤバイ言い方をすれば検閲と言う概念が法律的にアーバックルによって映画に最初に取り入れられた事となります。参考までに検閲の最高責任者は、共和党の全国委員会委員長で郵政大臣のウィル・H・ヘイズ(写真20)が任命されました。この人の登場から労働時間や賃金の問題もポロポロ露見するのですが、これは今回のお話と直接は関係ないので、デブ君の話に戻ります。

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写真21 公判中のアーバックル

 えー、デブ君の公判(写真21)は合計3回行われたのですが、白黒完全決着を見ないまま、まぁ「推定無罪」となりました。しかし民衆の意識は変わらず、事件から約10年間は映画界から表向き姿を消します。「表向き」と言うのはこれから説明しますが、きょうこの後に御覧頂く「デブ君の結婚年」という映画、ケッコンネンと読むか、ケッコンドシと読むかは当時の日本公開タイトルでよくわかりませんが、この映画もアメリカでは今だ公開されておりません。まぁ今さらリバイバルも考えられませんが。この「結婚年」は殺人事件の前に作られ、パラマウントが絶対の自信作として宣伝していたものですが、事件で一時オクラ入り、公判はスグ済むと思っていたところがダメで、1年後にタイトルを変えてヨーロッパでロードショウされました。先程話しましたとおり、デブ君の作品は皆、焼き払われましたので、この映画自体はプリントがアメリカにありませんでした。今回の上映はイギリス公開のプリントがメキシコで発見されたもので、貴重と言えば貴重、マニアックと言えばそれまでです。(場内より笑い)

 えー、それでどこまで話ましたっけ。あのアーバックルのその後ですね。事件後、「表向き」映画から離れますが、一部にはやはりファンも理解者もいます。そこでキャバレーやクラブなどのステージ、ヴォードヴィルの巡業を再び始めます。この時のキャバレーのオーナーでデブ君の熱烈な支持者には、シカゴの大物アルフォンソ・カポネがいまして、デブ君はカポネの依頼にも応えています。この時代でのニューヨークで有名なデブはカポネ、アーバックル、ベイブ・ルースとなりますが、三人ともハゲで童顔ってのは偶然ですね。(場内より笑い)

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写真22 ボブ・ホープ(左)と
ポーレット・ゴダード(右)

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写真23 アーバックル二番目の妻となったドリス・ディーン

 この舞台とは別に、弟子のキートンや映画会社の親友だった役員連中が、アーバックルから「映画」を取ったら「ただのデブ」じゃないかと(場内爆笑)匿名監督として製作現場に呼び戻す準備をします。ステージでのアーバックルは今まで通りデブ君として、売り出し中の新人コメディアン、ボブ・ホープ(写真22)なんかを従えて活躍してましたが、やはり自分の人生はフィルムにある、とキートンらの誘いに乗ります。ここで年俸20万ドル、製作費は全て会社持ち、そして昔キートンに譲ったプロダクションの恩給付きで、ロスコー・アーバックルの名を使わずに謎の監督として再デビューします。この時の名は、キートンが「すぐ良くなるだろう」と言うシャレでwill be good と、アーバックルの父ちゃんの名前ウィリアム・グッドリッチを合わせてウィル・B・グッドリッチとしました。そしてエデュケーショナルという、元は教育映画の短編を作っていた会社からリール・コメディズ・インコーポレーテッドと言うレーベルを貰って、ステージで知り合った二番目の奥さんドリス・ディーン(写真23)や甥っ子の元同僚アル・セント・ジョンとまたコメディを作ります。この時の作品が今回のプログラムにあります「鉄のラバ」ですね。

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写真24 エディ・カンター
かのエノケンが最も影響を受けた
コメディアン

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写真26『断髪の悪女』こと
ルイーズ・ブルックス

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写真27 マリオン・デイビス
現役当時の彼女を批判する
マスコミはいなかった!!
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写真25 『ハム君』ことロイド・ハミルトン

 

 

 

 

 


 で、またちょっと話が外れますが、この二番目の奥さんドリス・ディーンが1990年になって映画研究家のデビッド・ヤロップに、キートンの「探偵学」はアーバックルが事実上の監督をしていたと、永年アーバックルとキートンに箝口令を敷かれていたと打ち明けました。

 さて、デブ君ではなくグッドリッチ監督は再び往時、と言っても二年くらいのブランクですが、小品ながらも多くのヒット作を放ちます。アル・セント・ジョン主演のコメディ以外では、かのエノケンこと榎本健一が最も尊敬していたと言うエディ・カンター(写真24)、日本でも「ハム公」とか「ハム君」と呼ばれ人気のあったロイド・ハミルトン(写真25)、「断髪の悪女」と呼ばれパブストの「パンドラの箱」で大女優となるルイーズ・ブルックス(写真26)、フラッパー女優のマリオン・デイビス(写真27)、300年続く芸人一族の天才コメディアンのルピノ・レイン(写真28)等の作品を監督しました。ルイーズ・ブルックスは丁度ここに上がって来る階段の途中に大きなポスターが貼られてますねぇ。マリオン・デイビスと言う女優は、先程話しましたメディア王のランドルフ・ハーストの愛人です。彼女の為にこのそばにある東京ドーム位の、サン・シメオン城という豪邸をブッ建てて、コスモポリタン・プロダクションと言う彼女を売り出す為の製作会社も作ってしまいました。このプロダクションで、当時の超一流脚本家フランセス・マリオンや超巨匠キング・ビダー監督と共にグッドリッチ監督を起用するのですが、これは私の考えで、きっとハーストはゴシップ記事を書き立てた罪滅ぼしにアーバックルを招いたんだと思います。

 えー、匿名監督としての活躍は以上です。で、役者としてのデブ君が映画にどうしても出たい!!と言ったらどうするか?こりゃキートンとアーバックルの師弟関係でしか成立しませんが、ちょっと前まで国民的アイドルで面も知れてる、隠すにも隠せない巨体ですから、キートンのアイデアが光ります。

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写真28 ルピノ・レイン
'50年代を飾る女優・監督であるアイダ・ルピノの伯父


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写真29 ルピノ・レイン
'50年代を飾る女優・監督であるアイダ・ルピノの伯父

 えー、御覧頂くのは「ゴー・ウェスト」、または「西部成金」というタイトルのキートンの長編です。で、このクライマックスのシーンなんですが、ロスの町に牛の大群が逃げてしまって、それをキートンが集めているシーンなんですが・・・このデパートに牛が入っていくところにご注目下さい。はい、このエレベーターに逃げ込む金髪のお嬢ちゃん(写真29)ですねぇ(場内爆笑)。今回の上映プログラムでも炸裂していたデブ君の得意技「女装」ですねぇ。ここでちゃんと活きてます。因みに、いっしょにいる女の子は、子役として人気があったベイブ・ロンドンと言う人の成長した姿です。これも長い間秘密にされていたデブ映画なんですが、私はご丁寧にも探してしまいました……。

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写真30 ヴァイタフォン社でのトーキー作品
・復帰第一弾"Hey Pop"1932
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写真31 "Hey Pop"撮影風景

 まぁ、こんなカンジでサイレントの時代を過ごした訳なんですが、事件から11年目の1932年、遂にロスコー・アーバックルはデブ君として映画にカムバック(写真30、31)します。えー、ヴァイタフォンと言うワーナー・ブラザース系列の会社なんですが、パントマイムの帝王デブ君が何とトーキーで復帰しました。これから上映します「デブ君の大騒動」と言う作品は復帰第二弾のものです。日本では戦前に「デブの妄想狂」っちゅうヒドイ題名で公開されたんですが、あまりに見当違いなんで今回はタイトルを改めさせて頂きました。ちょっと事件の後と言う事もあってか、サカリの過ぎた道化師みたいに痛々しさも感じますが、パントマイムは健在なので楽しめるかと思います。

 で、デブ君のプロフィール最後に話を戻しますと、このトーキー作品から世間一般の憎しみ的な感情も時間と共に薄らいだみたいで、かつての絶大な人気こそありませんが、奇跡のカムバックとして再び注目を集めたそうです。が、1933年の6月29日、宿泊先のマンハッタンのパーク・セントラル・ホテルで心臓発作を起こし、帰らぬ人となりました。死亡推定時刻は午前2時30分頃との事で、フォレストロウン共同墓地に、大きな身体と多くの情熱と沢山の苦労が棺に詰められ埋葬されました……。

 

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