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喜劇辞典 さ行

【サーキット】(circuit:英語)

全国巡業。現在はツアーと呼ばれている。
マルクス兄弟の場合は自作のギャグを各地の舞台でテスト巡業して、ウケ具合の統計によって作品を洗練してゆく、といった方法で最終完成形を「映画」にしていた。彼らにとっての「サーキット」とは実弾演習を意味するもの。覆面上映(スニーク・プレビュー)という試写方法によって観客の反応から映画の完成度を練り上げる手法もあるが、マルクス兄弟は自ら舞台に立つ事でナマの反応を肌で調べていたのであろう。(A)

【サイレント・コメディ】(silent comedy:和製英語)

無声映画時代(技術的に音声をフィルムへ記録・再生ができなかった19世紀末からの約30年間)の映画喜劇を示す、当会による造語。本来の英語ならば「サイレント・コメディ・フィルム」とか「サイレント・コメディ・ピクチャー」など、モノの状態を表す形容副詞みたいなワードとして、固有名詞と合体して成り立つべき言葉。
当会が<無声映画期の喜劇の歴史をまとめた書籍>を製作・刊行するにあたって、キャッチ・コピーみたいなニュアンスで『サイレント・コメディ全史』と命名したのだが、1992年の刊行以降、いつの間にか古典映画ファンを中心に「無声喜劇映画=サイレント・コメディ」と定着していた。拙著名のヒントは無声映画期のコメディアンを評論したWalter Karr著『The Silent Clowns』から得た。(A)

【サタイア】(satire:英語)

諷刺。社会や人間のアホなところや間違った部分をそのまんま攻撃するのではなく、ひとひねりして間接的に皮肉やユーモアの衣をかぶせて暴く笑いのゲリラ戦法。古くは『イソップ物語』などの寓話にも様々な諷刺が盛り込まれている。諷刺文学の金字塔『ガリヴァー旅行記』の作者ジョナサン・スウィフトは『アイルランド貧民児処理に関する一私案』というパンフレットで「アイルランド人の貧窮救済のために、アイルランドの赤ん坊を食肉その他の用に当てるべし」との論を展開しているが、これなども痛烈すぎる諷刺である。
「夜露死苦」「沙汰射矢」(さたいや)と大書した旗を掲げ真夜中にバイクで集団暴走しても、それは社会諷刺にはならない。諷刺はスマートに、が鉄則。(F)

【シチュエーション・コメディ】(situation comedy:英語)

筋書きの前後関係、ある状況設定で巻き起こる登場人物の反応が笑いの誘因となっているコメディ。
一発ギャグの集積的なスラップスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)と対比すると最も分かりやすく、シチュエーション・コメディはギャグ単体では成立せず、道理や経験則によって笑いが生まれる。
第二次大戦中に公開されたエルンスト・ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』は、シャイクスピアの『ハムレット』を上演していた劇団がナチスのポーランド侵攻という苛酷な「状況」に巻き込まれ、その打開のために劇団員たちが獅子奮迅の活躍をする…という痛快無比のコメディだ。 このシチュエーション・コメディの作法はルビッチの弟子のビリー・ワイルダーや『おかしな二人』のニール・サイモンから三谷幸喜まで脈々と受け継がれている。
またイギリスやアメリカ製の連続テレビコメディ(家庭・職場など設定が固定された30分番組で、観客の笑い声が入る)の場合は、「シットコム」(sitcom)という略称で親しまれている。(F)

【ジョーク】(joke:英語)

笑いを呼び起こすための滑稽な言動。
冗談、からかい、シャレ、いたずら。短いダジャレから、膨大なの制作費をつぎ込んだエイプリルフール用ウソ番組のように物語全体が壮大なジョークになっているものまで、規模はさまざま。政治ジョーク、セックスジョーク、頭のトロい金髪娘の登場するブロンドジョークなど、さまざまな典型パターンがある。「エスニック・ジョーク」と呼ばれるジャンルは、特定の民族がターゲットになる。アイリッシュ・ジョークはアイルランド人を主人公にした頭の足りない奴らの話、スコッチ・ジョークはケチなスコットランド人、ジューイッシュ・ジョークは狡猾で貪欲なユダヤ人が主役になったジョークという具合だ。「電球をソケットにはめるのにポーランド人が何人必要か?」「5人。ひとりが電球を持ち4人が家を回す」といったジョークにも、民族を変えたバリエーションが多数存在する。「フランス人はジョークを半分聞いただけで笑う。ドイツ人は翌日笑う。イギリス人は2度笑う(1度目はジョークを聞いたとき儀礼的に。2度目はジョークの意味が理解できたとき)」などというのもあり、これらのジョークでは国民性が説明不要のキャラクターとして機能している。では日本人は…?「明日の今ごろジョークをいうからね」と24時間前に予告しておけば笑ってくれるとか。
ブラック・ジョークは黒人ジョークではないので間違えないように。(F)

【スクリューボール・コメディ】(screwball comedy:英語)

1940~50年代に流行したアメリカ喜劇の作風。命名者不詳。
パラマウント社を中心として数々の名作が世に送り出された。「screwball」とは「変人」「変化球」の意で、主人公とストーリー展開をかけたシャレがネーミングの典拠とされる。その典型的なパターンを紹介すると、堅物の変人(大富豪の御曹司、学者など)を演じる男優とヴァンプ系(クラブ歌手、ギャングの情婦など)の女優による急転直下のストーリーと粋なセリフの応酬が出色、といったところ。シチュエーション・コメディベッドルーム・コメディの発展型で、直接的な性描写はないものの、痴情が物語を展開(転回)させる。代表的な監督はプレストン・スタージェス、ハワード・ホークス、エルンスト・ルビッチュ、男優はゲイリー・クーパー、ケイリー・グラント、女優はバーバラ・スタンウィック、クローデット・コルベールなど。代表作は『教授と美女』『ヒズ・ガール・フライデー』『サリヴァンの旅』『先生のお気に入り』など。(A)

【スタンダップ・コメディ】(stand-up comedy:英語)

コメディアンがひとりで舞台に立って話術を披露するアメリカ特有のお笑い芸。人気TV番組『サタデー・ナイト・ライブ』出身のジョン・ベルーシ、エディ・マーフィーらの活躍で日本でも知られるようになった。アメリカには「コメディ・クラブ」と呼ばれるコメディ専門のライブハウスが多くあり、そこでスタンダップ・コミックと呼ばれる芸人たちが毎晩、話芸を披露している。レニー・ブルース、スティーブ・マーティンなどが有名だが、映画監督のウッディ・アレンもまたスタンダップ・コメディ出身である。
スタンダップ・コメディを日本語に訳せば「漫談」、無声映画の弁士から漫談家に転じた大辻司郎、山野一郎、牧野周一、その弟子でウクレレ漫談で有名な牧伸二、ソロバン片手のトニー谷、最近では中高年ネタを得意とする綾小路きみまろなどがいる。異色なところでは、時事ネタ中心の小噺を即興的につなげステージに立ったまま演じた落語家・林家三平なども和製スタンダップ・コメディに位置づけられそうだ。また、相方を亡くしたりコンビ別れをした漫才のかたわれが、漫談家として再スタートを切るケースも多い。 背の高い椅子の上で足を組んで話芸を披露するスタンダップ・コミックもある。座っているからといって、シットコムであると複雑に誤解してはならない。(F)

【ズッコケ】

転ける(こける)の江戸方言らしいが典拠は不明。
セリフではなく体技を旨とする喜劇においては、演者の技量を示す究極の体技といえる。技術的な説明はフォールの項をご参照。この演技で名コメディアンといわれる人の手のひらには、コンクリートのように堅い'転びダコ'が存在した。また一方で、演者がタイミングをあたえ、受け手が無意味にひっくり返る(大笑いする)、道化的演技も示し、こちらの代表例では、ザ・ドリフターズの『8時だヨ!全員集合』等での加藤茶のクシャミ「ヘップシュ~ン」を合図に出演者一同の同時ズッコケ、またはドリフ・ギャグのオチ部分での応用例、吉本新喜劇で主要登場人物の出入りに披露されるお約束的集団ズッコケ、あるいは同じく吉本の、井上竜夫が得意とする尻を突き立てながらのスローモーションのコケ方、間寛平が老人に扮したときに見せるコケ方(膝が折れるように脱力感を味わう笑いや驚き)などが数えあげられる。タイトルに使用した例には児童文学の『ズッコケ三人組』シリーズ(那須正幹・作)などがある。これは間抜けなトリオを想起させる状況や形態を表す単語となり、コンビの場合は「凸凹」等が同じ意味で使われている。古典落語には『ずっこけ』というネタがあるが、先代の三遊亭金馬がこの咄の前半部分を独立させ、名作『居酒屋』に仕立て上げたことはよく知られている。転じて、製作者や劇場経営者による「転ける」「ズッコケ」という言葉は興行的な失敗を意味する。(A)

【スラップスティック・コメディ】(slapstick comedy:英語)

「ドタバタ喜劇」の正式呼称。ギャグそのものに直感的、一発芸的な要素がある。
このドタバタ喜劇とは、かの淀川長治センセイが戦前の雑誌で「スラップスティック・コメディ」を紹介するにあたって翻訳した言葉とされる!? サーカスなどで道化師が用いるブッ叩き用の杖(大きな音の鳴る仕掛けがなされている)=スラップスティックが語源とされ、暴力的な展開の喜劇全般を示すに到る。淀長センセイ訳は言い得て妙!ゆえに大阪名物パチパチパンチも同属となる。「スラップスティック」と同じ効果の小道具には「張り扇」があり、楽器では道化師仕様と同じ構造の「スラップスティック」というパーカッションがある。楽器や杖が複数ある場合はスラップスティックスというかもしれないが、通常は単数形で使用。「スラップスティックス」とはケラリーノ・サンドロヴィッチ作の造語(大ヒット戯曲のタイトル)。詳細は活動史を御参照あれ。(A)

【スレ違い】

タイミングが合わない、間が悪い等、喜劇演出術の基本。
例えば、二人の男女がスレ違って会えなかった状況を「悔しい・・・」と当事者の立場で描くと悲劇、客観的に「手際の悪い奴ら」と描けば喜劇になる。「勘違い」も同系列の発想。 模範となる古典的傑作はハロルド・ロイド主演『要心無用』『巨人征服』『福の神』。構成の妙義で壮大なパラドクスを展開する例ではクェンティーン・タランティーノ監督作品『パルプ・フィクション』がある。(A)

【ゼスチャー、またはジェスチャー】(gesture:英語)

身振り手振りで状況や形態を表現し連想させる演技法。
パントマイムほど高度な技術ではない場合が多い。例えば、「大きい」と言いながら両手を広げサイズを示す事もゼスチャーであり、ある大手ファースト・フードの社員教育では、商品説明やプレゼンテーションの際にこの表現行為が奨励されている。その昔、イタリアの独裁者ベニト・ムッソリーニが演説で多用するゼスチャーの効能にドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーが着目し、同国の宣伝相パオル・ヨゼフ・ゲッベルスの分析によるゼスチャーで国民の意識高揚に絶大な効果をあげたとされる。このゼスチャーを仰々しくギャグとして再演したのがチャーリー・チャップリンの『独裁者』。ゼスチャーは演技者が笑いの対象となるケースと、解釈する相手が見当違いで笑いを呼び起こすケースがある。前者の代表例は『独裁者』(ヒトラーのモノマネ芸かもしれないが・・・)、後者はマルクス兄弟『マルクスニ挺拳銃』での聾唖者ハーポと勘違い帝王チコのやりとりを例にすると、ハーポがゼスチャーで「女性」を説明(グラマーなボディ・ラインを手で描く)、それを見たチコが「おぉ、蛇か!」と理解する!?
ゼスチャーをギャグとして用いる場合、演じる状況が認識されていない限りはギャグが成立しない。(A)