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トップページ > 活動史(21世紀) > 喜劇映画研究会 2001年 ロスコー・アーバックル特別講演2
喜劇映画研究会 2001年

特別講演「アーバックルのサイレント・コメディ」2

この時、近所のニューヨーク・メトロポリタン・オペラに出ていた「神の美声」と呼ばれるシシリアンのテノール歌手のエンリコ・カルーソ、今で言うとパバロッティやドミンゴとかカレーラスみたいな世界的な大スターなんですが、このカルーソがアーバックルに会って「映画界を出て、また舞台に戻れ!」と勧めます。ここでカルーソの口添えから劇場が最低年俸を20万ドルと提示して契約しますが、これを知ったパラマウント映画が年俸約100万ドルとプラス作品の収益の25%をボーナスにすると言う条件で、メトロポリタン・オペラとの契約は破棄されます。まぁ掟破りですけど、このパラマウントが交渉成立として渡したのがロールス・ロイスの鍵でした。ちょっとまた計算がおかしいかもしれませんが、当時の物価が今は10倍とすれば、1ドル120円のレートとしたら単純に最低年収が1億2千万と言う事になりますねぇ。いかにもアメリカっぽいカッコ良さは、契約時に車のキーを渡すところですね。今でこそフォルクスワーゲンの傘下に入ったロールスですが、まだまだ一般の人では乗れない超高級車です。今でもディーラーでは1500万位するんですが、当時はヨーロッパ貴族が馬車から乗り換えたイギリス職人のカスタム・メイドの御用車輌なので、もっと高かった筈です。デブ君は車が好きだったのか、まぁ当時も高級車はステイタス・シンボルだったので、このすぐ後にはやはりフランスの手作り超高級車イスパノ・スイザを買ってます。ちょっと話は外れますが、イスパノ・スイザと言う車がどれだけ様式美の塊で、こんな車に乗る人のショーファーぶりがいかなるものかを知りたい方は、ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」を御覧なって下さい。ゲッ、こんな奴いねぇヨ!って位にクラッシーです。

 えー、さてデブ君と呼ぶには大スターとなった為にふさわしくないかもしれませんが、このギャラの高さでどれだけスゴイ人かは、何となくおわかり頂けるかと思います。丁度、大スターと呼ばれる人の当時のギャラで比較しますと、ほとんど同じ時期にチャップリンが今のMGMの前身メトロ社に引き抜かれそうになった時の年俸が67万ドルで、直後にエッサネイ社が出した条件は週5000ドルと1作品につきボーナス35万ドルと収益配当と言う事で年俸約90万ドル強、これで契約を横取りしますが、当時のニュースとしては業界最高額となりましたので、デブ君は更に10万ドル以上も多く、史上最高だったのかもしれません。キートンはこの頃まだ映画界には入ってませんが、舞台では人気者で、それでも週250ドルのギャラ、後にアーバックルの助手となって映画界に入ると週40ドルと下がってしまいます。ハロルド・ロイドは自立して映画製作をしてましたが、まだ週100から150ドルでした。まぁ、それだけデブ君はグラム売りしても純金みたいに価値があったという事です。(場内より笑い)ついでにまた車の話をしますと、デブ君は高級車のコレクションを高級マンションのガレージにしていたという事で、現在クライスラーのブランドとなるフェートンというスポーツ・カー、ギャデラック、フランスからルノー・ロードスターとか、だいたい1台が25万ドル位のカスタム・メイドを買っていたと言う事です。自分の映画でスゴイ車が出てくるのは、アーバックル個人のモノです。

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写真10 コミック・フィルム・コーポレーション
設立時の記念写真

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写真11
コミック・フィルム・コーポレーション
設立時の記念写真

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写真12 アル・セント・ジョン
 えー、これでデブ君はセネットのキーストン調の表現という、まぁ今日再見するとかなりプリミティヴな、固定カメラに向かっての大袈裟なジェスチャーで実況説明するみたいな、あまり映画的発想ではない作品もやらないとダメだった様ですが、パラマウントはデブ君プロダクションに絶大な信頼を寄せていたみたいで、出資した後は完成した作品を貰うだけみたいなスタンスでした。こうして革新的な映像、どう革新的かは後程お話しますが、自由奔放な創作に入ります。プロダクション名はコミック・フィルム・コーポレーション(写真10)で、コミックはフランス語の表記としました。この理由はスミマセン、ちょっと調べが足りませんでした。そしてこの設立の時にバスター・キートン(写真11)を映画界へ迎え入れました。キートンが加わるまでは、セネットの時からの共演で、デブ君のお姉さんの息子、つまり甥っ子にあたるアル・セント・ジョン(写真12)と言うヒョロっとしたコメディアンを仇役にしてましたが、キートンの子猫みたいなキャラも合わせて、デブ・ヤセ・チビのトリオ・アンサンブルで短編喜劇を作ります。あのちょっと今さらですが、デブとかチビは差別用語と最近は言われているみたいでスミマセン。まぁ、このトリオが、いわゆるデブ君の最高傑作と言われる作品のほとんどでドタバタ活躍します。今見ても、実に屈託のない、純粋なスラップスティックの芸術と私は思いますが。ここでキートンはカメラや映写機のメカニズムを覚えて、ギミックなギャグを提案、アーバックルのプログレッシヴな演出と良い相乗効果を生み出します。この関係の頂点は、今回の上映でも御覧頂いた映画史の最高傑作とも言われている「探偵学入門」でしょう。先にお見せしました「デブ君の焼餅」で見られる、ストーリー上の伏線とオチを露見させない数々のフェイントは、この「探偵学入門」で完全に昇華したといえます。そしてギャグの推進力となるトリックは、キートンをして映画人生の師と仰ぐ、アーバックルの、プロダクションでの共同作業に確認できます。まぁまだ見てない人の為にもギャグをばらしてしまわない様、これ以上はお話するのをヤメておきましょう。

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写真13 パラマウント社でのアーバックル

 さて、またデブ君のプロフィールに戻りまして、1920年、同じ釜の飯を喰うキートン、アル・セント・ジョンも独自の人気を得てきました。キートンが加わった事でアルの株が下がってしまったという気も個人的にはしますが。ここでパラマウント側とデブ君のマネージャーの提案で、コミック・フィルム・コーポレーションはキートン主演の製作会社として、デブ君は直接パラマウントの契約で長編映画を作る(写真13)事となります。この時のギャラは三倍の年俸300万ドル、プラス、キートンに譲ったプロダクションの配当25%です。キョーレツに高いと思うのですが、いかがでしょう?待遇が良いのは、やはりスーパー・スターの証拠でしょう。キートンはこれから学んだ事、思いついた事を自在に作品として仕上げ、後の「黄金期の短編」と呼ばれる映画を量産します。アルは、キートンの第一作「ザ・ハイサイン」に端役で出ますが、この後セネットの許へ戻って主演作を発表します。バラバラに主演しても、作風やナンセンスの着想が三者はよく似てます。この辺りはやはりデブ君の影響力でしょう。

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写真14「石油成金」"Gasoline Gas"1921年より


 えー、さて1921年になりますと、映画はアメリカの産業で5番めの稼ぎ頭となります。アメリカ映画の輸出と共に、デブ君は世界的な名声を得ている訳です。この前の年に作られたデブ君の長編映画"Gasoline Gas"(写真14)、日本では「石油成金」のタイトルでロードショウとなった作品はハリウッドで、これまでのパラマウント映画の興業収入でNo.1の記録を打ち立てます。人気も名声も頂点を極めたデブ君ですが、ここで生涯を狂わす事件に巻き込まれました。

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写真15 ヴァージニア・ラップ
 えー、アメリカで言うところの勤労感謝の祝日、デブ君がプライベートに催したパーティで殺人事件が起きました。これは新人女優が強姦され殺されたもので、禁酒法の時代、ホテルのスイートルームを貸し切りで不法に入手したお酒を大量に持ち込んでのパーティだったという事から、事件は更に複雑となりました。殺されたのはヴァージニア・ラップ(写真15)と言うまったくのド新人で、パーティ当日に死体で発見されたのではなく、4日後に病院で亡くなりました。死因は腹膜炎と検死結果が出てますが、日本のスポーツ新聞みたいに、大スターのゴシップとして煽動的な記事がデカデカと書き立てられました。それはアーバックルが乱交パーティの末に殺害したと言う内容で、話に尾ヒレがついてアーバックルが120kgの巨体でのしかかった為に圧死したとか、匿名の目撃談でフリチンのデブ君が血まみれのビンを手に個室から出て来て、部屋には服がビリビリの女性が死んでいたみたいな、即死だった様な記事が出廻りました。当然、殺人事件の重要参考人はパーティの主催者で大スターのアーバックルです。

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写真16 最初の審議

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写真17 最低のジョーク

 ここで最初の審議(写真16)となるのですが、デブ君の奥さんだったミンタ・ダーフィの、アーバックルが性不能者だったという証言が不利な展開にデブ君を追い込みます。デマはアメリカ全土に広まって、「昨日まで国民のアイドルだったデブ君が、女性の性器にコーラのビンを押し込んで殺害」とされます。凶器はコーラのビン、またはワインのボトルと言われてますが、事実もわからないまま、アーバックルと殺されたヴァージニア・ラップの顔写真入りラベルの付いたワイン・ボトルなんて言う最低なジョーク(写真17)の合成写真まで出廻ります。「市民ケーン」のモデルとなった当時のメディア王ランドルフ・ハースト、今で言うルパート・マードックみたいな人ですねぇ、このハーストが「豪華客船ルシタニア号の沈没事故より、アーバックルの記事を載せた方が新聞が売れた」と発言している位、大スターのゴシップは騒がれます。